俳句で有名なんだけど、こっちもヤバい
江戸時代の1763年、貧乏農家に生まれた小林一茶。
名前は聞いたことあるよね?
俳句で有名らしいだけど、実はあまり私は知らない。
苦労人で私生活はあんまり幸福ではなかったっぽいね。
結婚もかなりの晩婚で、1814年、52歳で結婚したの。
嫁さんは28歳とかなり若いんだけど、江戸時代で28歳というと大年増女の部類に入ってしまう。
嫁に行き遅れとか、もらい手としてはほぼなかったかもね。
一茶ロボ参上!!
そんな一茶なんだけど、几帳面な性格なのか、理由はわからないんだけど、妻との性行回数を日記にカウントしてるのよね?
- 8月12日 夜3回
- 8月15日 昼夜3回
- 8月16日 昼夜3回
- 8月17日 夜3回
- 8月18日 夜3回
- 8月19日 昼夜3回
- 8月20日 昼夜3回
- 8月21日 昼夜4回
もうマシーン化してるでしょ? “一茶ロボ”でしょ?
妻を愛していたのか、晩婚にして新世界を知ってしまった一茶の我慢していた性欲がポンペイを一瞬で滅したヴェスヴィオ火山のように大噴火したようです。
それだけでは飽き足らず、根茎を乾燥した強壮薬で黄精という精力増強させるクスリで、ポパイにたとえるなら、元気の出るホウレン草といったところだろうか。
それに手を出してまでガンガン攻撃の一茶ちゃん。
でも当時の農民の暮らしって仕事以外に何も楽しみがないんだよね?
テレビないし、漫才もない。歌舞伎か、春画?
それに冬なんて隙間風がくそ寒いよね?
なので肌を合わせるのは一番暖をとるには最適だったのかも。 結果的に1824年まで4人の子供ができ、全員死亡し、おまけに妻も力尽きたみたい。
妻のお菊さんは働き者で誠実に一茶に尽くしたと記録に残っている。
もともとの一人前(いちにんまえ)ぞ雑煮膳
小林一茶
思えば、元々ずっと1人だった。
1人に戻ったにすぎない。
という当時の心境を読んだ一句でした。
これで終わると綺麗なブログだったかもしれんが・・・
めげない一茶は再婚する。
お菊の次は飯山藩士田中義条の娘、”出戻りのお雪ちゃん”、38才。 なんだけど、武士の娘で農業を知らないこと、俳人一茶の生活スタイルとすれ違いがありすぎたこともあり、すぐに離婚したっぽいね。
1825年、一茶63歳の時、大病を患い、言語障害と不自由な体となってしまったみたい。
なんだけどちょっとした事件があり、なんと一茶は3度目の結婚をすることになる。
かつて一茶もよく利用していた旅籠の小升屋に奉公をしていた、やをという女性が私生児を生んだのだ。
やをは裕福な農民、宮下家の娘であったが小升屋に奉公を出てたんだけど、近所の名家のお坊ちゃんと親しくなり、できちゃったというのだ。
それもお坊ちゃんはまだ10代で、やをは32才だった。
名家に大年増を嫁がせるわけにもいかず、どうしようと思ってたとこに一茶の話が持ち上がり、介護も必要だし、嫁げってことになったみたい。
この時一茶65歳、10代の坊やと遊んでしまった”やを”32歳でした。
人間50年の世の中よ!
65歳ってもう仙人よ。
この結婚は1年半しか続かなかった。
一茶の寿命が尽きたのね。
妻やをは最後まで支えた見たい。
実はそれだけじゃなく、一茶の死から5ヶ月後、なんと一茶の子、女の子を出産していた。
言語障害や、障害を持つ体だったはずなのに・・・
一茶ロボは最後まで健在だったっぽい
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