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江戸時代をなめんな!ラブホもあったぞ!

なんでもある魅惑の江戸時代!

「江戸時代のカップルってどうしてたの?」
「ラブホってあったの?」

そんな疑問を持つ方向けの下ネタ記事になります。(2020/08/27 更新)

あったんだ!江戸時代のラブホ

付き合い当初のカップルがその前を通ると気まずい空気が漂ってしまうラブホ!
モテない学生時代には憧れの場所であり、実はラブホには、わたくし、苦い思い出が・・・

大学出たての若造だったわたくし、当時の彼女とデートしてたんだけど、どうも一緒に食べたお昼ご飯が大ヒットしたらしく、激痛に見舞われ、う●こが汚染されたわたくしのお腹から我先に脱出しようと試みるもんだから、どうにもこうにもならなくて、入る予定のなかったラブホに直行!
オーナー?に頭下げてラブホの部屋じゃなくて管理人夫婦の部屋のトイレを借りたのよ。

和式でさ・・・ 一段上がるタイプの和式・・・

トイレに飛び込んで勢いよく座った途端、ブホォ〜〜〜〜って飛び散っちゃって・・・・ドアまで・・ どないしょ?

掃除せねば・・・と悩んでたら、 トイレのドアの外で

「ママ・・・ブーって言ってるよ」と子供の声が・・・

な、何でラブホに子供が・・・!
しかもご丁寧にママに報告しやがって!
もう掃除したよ。
何事もなかったかのようなレベルまで。
その間、彼女は廊下で部屋へ「そそくさ」と入っていくカップルを何人も見送っていたとか。

ところで、こんな話をしたかったわけではなく、そう、江戸時代にもラブホはあったのよね?
江戸時代ではもちろん、ラブホではなく、出会い茶屋って言われてたんだって。
今のような泊まりはなく、休憩オンリーだったっぽい。
それにね、江戸時代の人たちはシャイだから、今のように一目でラブホってわかるような作りではなかったのよ。
出会い茶屋は見た目はあくまで飲食物を提供するお店。
別の入り口があってね、そこには「料理処」って看板とか掲げてあったんだって。

何を料理すんダァ!

とツッコミたくなるけど、ぱっと見はわからないように工夫してた見たいね。
料金は結構ボッてて、一両の4分の1の料金。
当時女中の給料が3両だったからそう何回も利用できるようなラブホではなかったのよ。
ちなみに食事付き。

お客のほとんどは世間的に大っぴらに出来ない身分の人たち。
例えば、大繁盛の商人の後家とその店の若い衆とか、役者と御殿女中とか、経済的に余裕があっても、そういった噂が立つと困る立場の人たちね。
当時、不倫についてはかなり厳しかった。
それこそ、切り捨て御免OKの時代だし。
それほど不義密通は大罪だったのよね?
そんな危険を犯してまでも不倫したい江戸時代の民衆はよく「蓮を見に行こう!」って誘うわけ。
上野の蓮で有名な不忍の池ね。
あのあたりはラブホが多いのは江戸時代からの名残なんだよね?
じゃぁ、こんな高級なラブホには縁のなかった若い衆は貧乏人はどうしたのか?
襲うしかなかったのか?
まさか、江戸時代、ラブホにいけない庶民は遊郭へ行ってたみたい。
今で言う風俗店か?
そこでは実は誰でも簡単に経験できたみたい。
遊郭の遊女は童貞くん大歓迎だったみたい。
言うこと聞くし、いい思いさせてやれば、お得意様になるしね。
裕福な商人の御坊ちゃま君なんかだと相当な大金を運んでくれるため、いいカモだったみたいね。
ただ、ここもお金がかかる。
ラブホと一緒。
と言うことで大抵の庶民は「夜這い」でした。
町には必ず、後家や年増がいる家はチェックが入ってたのよ。
偉大な先輩たちから。 その先輩たちの情報でそういった家へ忍び込み、お願いをするわけ。
大抵オッケーだったみたい。
ちなみに江戸時代では、22以上で年増、25以上で大年増とされた。
28では嫁の行き先にかなり限りがあったっぽい。
江戸時代の俳句で有名な小林一茶の初婚は52歳だったから、結婚相手は28歳でした。
小林一茶の絶倫話もあるので見てね。
そういう世の中だったのよ。
後家さんや、当時年増とされた女性は、こんな世の中だから実は寂しかったわけでこれもありだったのよね?
そういった女性のいる家は 夜はラブホに早変わりして、男にしてやったと自慢げに話してたとか。
こういった優しい女性が影ながら、オトコの成長を見守っていたとさ・・・

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