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江戸時代の将軍様に自由はない!エッチもね

これでは世継ぎなんて生まれないわなぁ・・・絶対無理やって・・・

「江戸時代の将軍様はどんな性活してたの?」
「どうせ将軍なんだからヤりたい放題だったんじゃないの?」

そんな疑問を持つ方に向けた記事になります。(2020/10/06 更新)

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  1. 江戸時代の将軍様に自由はない!エッチもね
  2. “今宵の御相手”に将軍から指名されるとどうなる?
  3. プライベートなんて存在しない将軍様

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江戸時代の将軍様に自由はない!エッチもね

江戸時代、天下の大将軍こそ、この世の絶世の美女をはべらし放題、遊び放題、ヤりたい放題だった!って思うでしょ?
ホントかわいそうよ。
プライベートもクソもないもんね。
江戸時代の天下の将軍様のエッチの目的は快楽ではなく、世継ぎをもうけて徳川家の安泰を図ること。
なので夜も立派なお仕事でした。
というか、これが一番将軍にとって大切な仕事だったかもね。
天下の将軍様がムラムラきて「良いではないか!良いではないかぁ〜」なんてないのよ。
そんなわがままは許されません。
将軍様のお床は夜22時すぎと決まってたの。
そしてそして、お相手は?というと事前に側近の小姓を通じて指名しなくてはならなかったの。
そこからがまた大変!
ここから伝言ゲームが始まるのよ。
その将軍の側近から大奥の連絡係の御坊主にまずは連絡。
御坊主というのは欲ボケ坊主のことではなく、50歳前後の尼さんで、その御坊主が御年寄という大奥の総支配人にさらに連絡を入れる。
将軍様の夜の御相手は誰なのかってのは将軍がお床に入る22時には江戸城全員が知ってるっていう暴露まくりの状態で勤しむ必要があったのよ。
実はその子孫繁栄の儀も悲惨なんだけど、その前に大奥に連絡が入った後なんだけどね・・・

江戸時代の将軍には自由はない

“今宵の御相手”に将軍から指名されるとどうなる?

大奥の御年寄が連絡をもらうとさぁ大変!
大奥中の取り巻きが一斉に動き出す!
今宵の御伽に指名された正妻か、側室はまずはお風呂で身を清め、丁寧に化粧をする。
そして髪を結う。
この時、カンザシは禁止!
必殺仕事人みたいに刺し殺す武器になるからね!
準備ができると将軍がお床に入る2時間前には寝室で待機!
そして寝室に一緒にいる御年寄はせっかく綺麗に結った髪を解いて中に凶器を持っていないかをチェックして結い直すらしい。
そうして、御年寄、御坊主、側室か正妻の3名が将軍が来るのを待つんだって。
ただ将軍が来てもすぐに「はい!じゃぁスッタ〜ト!」とはならない。

まずはお茶が出され、なぜか4人でぎこちない会話から始まる。これから何が起こるのか4人全員が共有している中で、一体なんの話をするってんだよね?

「上様、今日こそは御世継ぎをババ〜ン っとお願いするでござる。この前は直前でファールされたって聞き及んでおりまするが・・」なんて会話だろうか?
これこそ拷問っていうか余計なお世話っていうか、どっかいけって感じなんだけど。
それに仕事中にお酒はご法度ということでこの場ではお酒じゃなくてお茶だったそうよ。
飲みすぎて事を起こす前に三振、空振りアウトに寝てしまったってオチにはならないようにだろうね?

もうガチガチでしょ?
逃げられないのよね?

実は将軍の子孫繁栄の儀は毎日はできなかったのよね?
歴代将軍の月命日は色事は慎むべしって事で禁止だったのよ。
なんで江戸時代の後半になってくると月の半分近く禁止だったみたいなのよ。

今日はイケそうな気がするぞ!
あっ、今日は東照宮様の命日だった!
ショボ〜
ン (ToT)

色々としきたりのうるさい武家社会だから仕方がないかもね。
でもこれだけじゃないのよ。
将軍ともなればエッチすら2人っきりになれないのよね・・・

プライベートなんて存在しない将軍様

将軍がお床の間に入ってきて、4人で雑談しているうちにお床の用意ができる。
将軍と御伽の女が床に入るんだけど、そのすぐ側になんと添い寝係の女性2人が添い寝する決まりになってたの。
監視役なのよ。
きちんと添い遂げたかどうかではなく、その将軍の御相手の女が将軍に余計な事を吹き込んでないかを監視する役だったの。
とはいえ、いくらなんでも落ち着かないのは人情というもの。
添い寝係は将軍やその女に背を向けてみないフリはしてたみたい。
もちろん聞き耳ガンガン状態だけどね。
もちろん一睡もせず全て聞いた事を御年寄にご報告って感じだったらしい。
将軍綱吉の時、側近の柳沢吉保が送り込んだ女が将軍の相手をしているときに甲斐一国をおねだりして、まんまと吉保は手に入れてしまったようで以来、余計な事を言わないよう監視役がついたとか。それに添い寝係だけじゃなく、側室も前夜の様子を御年寄に報告する必要があったんだって。

「そりゃもう、バンバンこられちゃって・・」

江戸時代の将軍様との色事は話題の中心

ではなく、あくまでも品よく・・・

「昨日の上様はご機嫌麗しゅう・・・
鹿威し(ししおどし)のようにカコーン!カコーン!とそれはもう”いとおかし”」

鹿威し

的な気高い感じ?っぽいけど翌日には大奥中が将軍の男らしさ?大砲?空砲?の話で話題独占状態だったのはいうまでもないよね?
いやダァ・・・全員に興味本位で知られてんのよ。

「ちょっと昨日はだいぶ早かったわぁ。さっさと終わらされたって感じ?嫌われたのかなぁ?もうダメかしら、私・・・」

とかそこら中で話ししてんのよ。
気分悪いね。
ただ、将軍の相手の女性もなかなか厳しくて、30代になると年齢制限で辞退しなければならなかったみたいね。
もちろん正妻も。
ただ将軍の方がどしどしやれやれでしょ?
大奥が女の狂気な嫉妬で渦巻いていたのは事実っぽいね。
辞退しない女は「男好きのアバズレ」とか陰口を叩かれ、白い眼で睨まれていたとか。

「ちょっとあのスケ!まだヤってるみたいよ。ババァのくせに!何よ、ちょっと祈祷師呼んで呪わない?呪ってやんないとこっちはヤってらんないわよねぇ」

(ある嫉妬に狂う女性達より)

江戸時代の相撲の絵ではなさそうね

というふうな会話があったとは思いたくないんだけど、いや〜おっそろしい世界ですわ。
ただ医学が発達していない江戸時代では母体を守るっていう意味もあったみたいね。
現在でも高齢出産は色々とリスクがあるしね。
江戸時代なら尚更、気をつけないとダメだったのかもしれないね。

女の怨念ほど怖いものはない

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